「死にたい・・・」の本当の意味 ~アイデンティティとしての希死念慮~

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人は何かの困難や苦痛に追われた時、もう死んでしまいたいと考えてしまうことがあります。精神医学では“死にたい気持ち”のことを希死念慮といいます。

うつ病などの疾患では、明確な理由は認識できないけれど漠然と死にたいと感じるという症状が見られるため、精神科で生命を守る上では注意して観察しなければならない情報です。

そうは言うものの、

みなさんの身近に「死にたい」を口グセのように常用している方はいませんか?

今回はそんな「死にたい」という発言について、意味についていくつか紹介した上で精神科で患者さんの状態を把握するためにどのような視点でアセスメントをしていけばいいのかを解説していきたいと思います。

かなり踏み込んだ内容になりますので、臨床で行き詰って悩んでいる精神科ナースさんに是非読んでいただきたい内容になります。

ではいきましょう!

「死にたい」の意味は?

「死にたい」という発言を辞書的に直訳すると「生命を絶ってしまいたい」という意味になります。

「死にたい」という発言を全て希死念慮として解釈し、自殺リスクとして把握してしまうのはまだ浅いアセスメントになってしまいます。

では、臨床や日常で耳にする「死にたい」という言葉の意味について紹介していきます。

①「もう限界!」

精神科の患者さん以外で一番イメージしやすい意図がこの「もう限界!」という内容です。

仕事や人間関係に行き詰った場合、金銭的にいっぱいいっぱいの時、山積みの課題に追い込まれた時、追い詰められた時に発する「死にたい」はこのパターンが多いです。

これを読んでいるみなさんの中にも心当たりがあったりしますか?

以前ネットで見かけた文章で、このような「死にたい」は「もう全部投げだしてしばらくハワイにでも行きたい」という意味として解釈できるというものがありました(笑)

まさにそのような意図で日常の延長で使用し得る内容です。

一般の人でも簡単に発する意図の「死にたい」であっても、精神科の患者さんが発すると希死念慮と混同しやすいので注意が必要になります。

特に臨床では、ADHDの疾患を持っている患者さんはこのようなケースが多いです。

自分の処理能力を上回った時に発する「もう限界!」「助けて!」というメッセージであることが多いので、希死念慮として傾聴するのではなく、患者さん自身の置かれた状況を一緒に落ち着いて整理してあげる介入が効果的である場合があります。

②承認への切符としての「私に注目!!」

「死にたい」という発言をすると、それを聞いた周囲の人は心配します。

時間を作って話を聞いたり、踏みとどまるように説得したりと、関わり方は様々です。

「死にたい」という発言によって周囲の人の関心を集め、心配してもらえると感じている人は周囲とのコミュニケーションの一手として「死にたい」を活用します。

このようなパターンの見分け方は、「死にたい」というもののその発言によって注目を集めることを目的にしているかどうかです。

すぐに想像がつくかもしれませんが、臨床ではパーソナリティ障害の方はこのパターンがあります。

具体的な例を紹介すると、知人などの身近な人に“死にたい”と話して自殺企図として飛び降りの現場まで行くという場合があります。

そのように繰り返し希死念慮を表出し、無傷での自殺企図を行う患者さんは、一連の行動そのものが「自分を見てほしい」という欲望の顕れの場合があります。(もちろん本当に自殺を繰り返し踏みとどまっていることには変わりないので、この記事で揶揄する意図はありません。)

では、そのような行動の背景にはどんなことがあるのでしょうか。

さらに深い内容にはなりますが、このような切符としての希死念慮のケースによくあるのが、家庭環境不良です。

育児放棄や、子どもの頑張りを親が認めない(褒めずにより高度なものを要求する)場合など、児童思春期に適切な愛着関係や親子関係が成立していなかったがために、子どもなりに絞り出した“最後の切り札”である場合があります。そのため、単に「周囲に迷惑をかけてまでかまって欲しいわがままな子」という決めつけをするのは不適切です。(愛着障害という診断がつくかつかないかではなく、個人の特性として把握しましょう)

臨床では、長い目で継続的に本人を受容し肯定することで自己肯定感を高めるとともに、死にたいと言わなくても周りの人は自分を見てくれるという成功体験を積んでいくことが重要になります。

③人格形成における“死にたがりのアイデンティティ”

最後の例として、アイデンティティとして意図して希死念慮を抱えるパターンを解説します。

この例は児童思春期や哲学的な思考を持っている方に見られることがあるパターンで、“死”について興味を持ち、「死にたい」と発することに自身の個性を見出すパターンです。

なかなかイメージしにくいかと思うので極端な例を挙げてみますが、今どき流行りの“病みかわ”という部類の方が“死にたいと言っている自分が可愛い”と感じ、ファッションの一部として希死念慮を身に纏う場合などもここに含まれます。

※当の本人達はこのような言い方で括られるのを嫌がりますが、医療者として的確なアセスメントを行うためにはこのような辛辣な分類をしてまで、生命に直結する危機を判別しなければならないことをご理解ください※

このような意図の場合、「死にたい」という発言を希死念慮として解釈して傾聴をしても一貫性に欠けたり、患者さんの発言が深まらないことが多いです。

時間経過によって軽快する例を多く見てきましたが、死にきるつもりがなくても誤って亡くなってしまう自殺企図があるのは上の2つのパターンに比べて多い印象です。

自殺企図として死ぬまではいかないけれど、死に得る手段を取ってみるという興味本位の行動で死に至るという場合に注意して観察することが必要です。

臨床の例でいうと、自分で首を吊ってみたけれど本当に苦しくなって、紐がほどけなくてナースコールを押した、などがあります。なんとか一命はとりとめましたが、そのままナースコールすら押せなかったら生命が危なかったかもしれません。

本当に死にたいと思う人

ここまで希死念慮以外の「死にたい」について紹介してきましたが、本当に死にたいと考えている患者さんと接することもあります。

そのような場合、生命を守るために希死念慮として的確なアセスメントを行うことと、行動かをしないためのリスク因子の排除が必要です。

具体的には下の図のような分類と対応になります。

文字と写真のスクリーンショット

自動的に生成された説明

(引用:『自殺に傾いた人を支えるために』)

うつ病などの場合は漠然とした希死念慮があるため、表にある“自殺の計画”が不明瞭であっても、以前に救急搬送レベルの自殺企図を行った経過などがあれば本当に注意が必要です。

まずは目の前に居る人がどのような状態にあるのか、きちんと把握できるように注意して観察していきましょう。

まとめ

今回紹介したように、「死にたい」という発言の裏には多くの意図や背景があります。

医療者として命と向き合う上では、患者さんの発言を聴取したときに的確にその意味を判断してリスクに備えることがとても重要になります。

最後に、この記事は、根拠に基づいて臨床に向き合ってきた精神科ナースのS田が臨床で見かける例を理論的に分類しようと試みた内容になっています。「看護理論家の卵」が作った分類の1つとしてご了承ください。

それではまた!

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参考文献

『自殺に傾いた人を支えるために ―相談担当者のための指針―』平成 20 年度厚生労働科学研究費補助金 20 年度厚生労働科学研究費補助金 こころの健康科学研究事業 自殺未遂者および自殺者遺族等へのケアに関する研究

看護師S田さん
看護師S田さん

京都大学卒業後、とある病院で看護師として勤務しながら、看護師の知識向上のため、「ナースイッチ」を創設。日々臨床と研究を両立しながら看護に向き合っています。

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