1冊目 編集後記

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これは、編集者としての僕の1冊目に関するおはなし。

今は誰にも伝わらなくてもいい。

でも、いずれ僕が大物になった時のために、どこか、公の場所に残したいという想いでこの場を借りて綴る内容である。もちろん個人的な編集後記として、それぞれの方への忖度などは抜きに、僕の主観的な体験や学びを書いていく。

始まりは、コンペから

この1冊との出会いは、自分のアイデアや企画ではなく、すでに動いているプロジェクトへのコンペからだった。

もともと書籍化を前提にして連載していた記事の企画を、本にする上でどのような形で制作するか、それを社内コンペで決めるというものだった。

僕は春からの入社の内定がある“入社予定”の社員だったが、ありがたいことにチャンスをいただき、そのコンペには参加することになった。

コンペのルールは、10本ほどの原稿の中から、どれか1つを選んで、その紙面のイメージを制限時間1時間で作成して提出する、というものであった。

そのために集められた編集者たちは、編集業界で何十年も勤めている方や、これまで何冊も出版してきてAmazon1位を取るようなベストセラーの編集にも関わってきた人もいたのである。そんな中でズブの素人という立場から、僕は必死で食らいついて作業をしていった。

1時間の中で、人に対してプレゼンできるように誌面を作る。その1時間をきちんと証明しようとタイマーをかけて、タイムラプスの動画を撮っていた時のことは今でも鮮明に覚えているし、その動画は今でもスマートフォンで大切に保存している。

そうやって行われたコンペでは、ビジネス本のように文章を並べて整理し、原価を落として販売価格を下げることを狙った企画や、マンガを使用して読者に視覚的に訴求するものなどが挙げられていて、僕が提案した紙面はそのちょうど中間のコンセプトと制作コストであった。

もともと連載の時に作成していたイラストを転用して、文章も簡潔にまとめていくという構成であったため、原価も最小限に抑えながら、誌面では見やすい表現をしていく見せ方を意識していたのである。

それぞれの持ち寄った企画の中で、著者の意見を聞きながら、製作費、販売価格等の目処も含めて、なんと僕が選ばれてしまったのである。

まだ入社していないのに、これから就職する会社での企画をすでに担当していくという立場になり、入社前から気の引き締まった思いをすることになったのだ。

ここから、僕の1冊目の制作が始まった。

がむしゃらに食らいついても知らないものは知らない

いきなり書籍を担当するといっても、僕はこれまで本の出版はおろか、人の文章を編集する経験も微々たるものだった。まずは何をどうしたらいいのか、表紙のこと、印刷のこと、紙のこと、何も知らない中で突然「この文章たちを1冊の本にしてくれ」という上司からの指令が下るのは、まさに青天の霹靂であった。

そうは言いつつ、ありがたいことに上司が寛大(世紀末レベルの究極的な放任主義)だったので「とりあえず試してやってみろ。分からないことがあったら聞いてくれ。」のひと言でプロジェクトは動き出したのである。事前に取扱説明書を読みこむのではなく、トライアンドエラーで転びながら実践で学んでいくこととなったのだ。

とりあえずやってみろと言われても、何をどうしていいかもわからずに路頭に迷っている僕にとって、これまで会社での付き合いがあった印刷会社の担当者の方は、本当にありがたい存在であった。

DTPや印刷を依頼する前提で製作に関わってもらったので、何をどこまで、誰がどうすればいいのか、そしてどのようなことまでできるのかを具体的に示してくれて、こちらが何をどこまですればいいのかを教えてくれたのだ。

僕が制作の実務的な処理については、印刷会社の方から学んだと言っても過言ではない。

そこから、これまでの連載記事を1から順に読み込んで、どの章にどの順番で原稿を配置していくのか、順番に決めていった。もちろん、そこには意図と根拠、ストーリーがないと誰も納得しないので、自分のロジックをいくつも考えて、練り直した。

自分なりに一生懸命原稿を整理して、その間に誌面のレイアウトを打ち合わせていき、何度も修正をして、制作は進んでいった。

表紙については、本屋を駆けずり回ってとにかく本を手に取り、スタッフクレジットを見て回りながら、これまで会社での付き合いの無かったデザイン会社にも、自分で挨拶に行き、なんとか依頼にこじつけたのである。

環境を活かしながらも甘えず、なんとか手探りでトライアンドエラーエラーエラーをして進めていった。僕のメンタルが脆弱であれば、既にこのあたりで投げ出していたかもしれない。

3校目で知ったルビ

初校を出して、再校を出して、いよいよ本の形が見えてきたとき、ようやく初めて1章分だけ上司に原稿を見てもらえる機会があった。僕の制作していた原稿の本文を職場の人が目にするのは、この時が初めであった。

その時渡した原稿には、赤ペンでたくさんの修正が書かれていて、中でも一番衝撃的だったのが“ルビを振る”という作業だった。

「フリガナって、振らなあかんのん?」

「どこまで振るかって、人力で設定しとるんかい!」

など、様々なツッコミが頭をよぎりながら、原稿の頭から見直して、フリガナを振るものは順番に振っていった。そして、表記の揺れがあるところについても、たくさんの指摘があって気づいたのである。

もうこの時点で、既に原稿を読み込む回数は数えきれないほど重ねていた。

校了だの、搬入だの、見本などのスケジュール関係についても、言葉すら知らんものを調整なんて出来ないので、その都度学び、わからない言葉は恥を忍んで真っ直ぐに聞き返すことを続けてきた。

一般的に、本作りは3校あるいは4校程度で完成させるのが普通だそうだ。

しかし、検討に検討を重ね、“やり方を学びながら制作していた”僕の書籍は、なんと8校で責了という、地獄のような修正ラッシュとなった。印刷会社の担当者の方も、僕の血眼にギラギラな熱意がなければ、ただの仕事の出来ない鬱陶しい修正野郎と思っていたに違いない。しかし、そんな周りの人達よりも自分が一番時間と労力を費やし、1文字1単語にこだわり抜くことで、なんとか納得してもらえていたのかもしれない。

まさに“必死”で向き合ってきた。

仕事の種類を知らないと振れない

僕が、この制作で何度もつまづいて学んだことがある。それは、人がどんな状態で仕事を受けて、どんな状態で納品するのかを知らないと、仕事は振れないということだ。

わかりやすく、ステーキ屋で考えてみよう。

ステーキを売る場合、牛を丸ごと仕入れる店はほとんどない。

まして、生きたまま牛を入荷する店なんてないだろう。

そのうえ、大きなブロックで仕入れてから店舗ごとに細かく分けていくこともあるだろうし、場合によっては既に1人前に切り分けられたものを仕入れる店もあるだろう。

そんな肉を仕入れるステーキ屋では、ほとんど生の肉を提供して焼き石で客に焼いてもらう店もあれば、食べごろまで加熱して切り分けて皿に乗せる店もあるだろう。

つまり、仕事を外注するという事は、その店がどのような状態の材料を仕入れて、どの状態まで手を加えて提供しているのかを、理解しておく必要があるのだ。

突然「燻製にしてくれ」「しゃぶしゃぶにしてくれ」といっても、ステーキ屋には出来ないこともあるのである。

初めて本を作る僕にとって、誰がどう挿絵を作ってくれるか、どの状態の原稿をDTPに入れれば、どう誌面にしてくれるかなんて、全く想像もできないのであった。

「これをこんな感じで!あとはお願いします!」なんてことが通用するのは、編集プロダクションの方々に制作を丸ごと依頼させてもらう場合に限るのである。しかし、その後も編集プロダクションの中では、作業を分割しながら、それぞれの場所に適した状態の工程を分配しているのである。

そんなこともつゆ知らず、手探りで出たとこ勝負をしていた僕は、

「そこまではうちではできません」

「挿入イラストに使用されているフォントは、指定がないと“似せる”以上の完全再現はできません」

「文章をテキストデータでも納品してください」

なんて壁に、ぶつかり続けてなんとか走り続けたのだ。

まさに“かすり傷”だらけであった。

没入、それぞれの立場、感謝

本を作る時に必要なのは、没入することである。

作者が原稿に表現したい想いを汲み取り、咀嚼して、まっさらな自分をそこに重ねる。

そして、本という形を作る上で、必要なのが、読者になりすまして原稿を客観視することである。読者は何歳で、どこの誰で、この原稿を読んだ時にどんな想いをするのか、なにを学ぶのか。それをより鮮明にイメージするのである。

もともとの連載のファンであれば、書籍化は期待の企画であるが、既に読んだことのある(見覚えのある)原稿を見ることになるので、変化は必要になる。

加えて、編集者として大切なのは、このプロジェクトに関わるそれぞれの人の熱量や想いである。制作陣については、それぞれの業務の中の役柄や、仕事としての依頼を明確に割り切る必要がある。なにも全員が僕のようにアホみたいに徹夜続きで過ごしてくれるわけではないのだ。その他にもそれぞれの関係者の立場になって物事を考える。より多くの立場に、より具体的に入り込むのである。

その上でこちらから他者に作業を依頼する場合には、そのコストを考えて動くのである。

ここでいうコストは単にお金だけでなく、外部の人にイメージを共有し、原稿を知らないひとにこちらの要求を表現し、時にプレスリリース等の原稿そのものをこちらで制作するなどの、自分と相手の労力のコスト、そしていわゆる”タイパ”も重要である。連携の速度感についても、かなり肝になる。

そうやって人の立場をイメージしていくと、人の割いているコストや負担が見えてくる。僕のような“自己中心的な人間”の場合、そこまでイメージしてようやく心からの感謝が湧いてくる。人の時間をもらったこと、その手間をかけてもらったこと、1つ1つに意味を感じることができるのである。

逆に、これまでは全て“出来て当然、周りは僕についてこれる人だけ残ればいい”なんて考えであったのだから、未熟とはこのことだろう。

この本が1冊できたとき、関わり始めた時とは見える世界が変わっていた。それは、僕の視野という意味だけでなく、“その本を包み込む、周りの世界”の見え方が変わったのである。僕は、その中の登場人物の1人に過ぎない。

作って終わりじゃない。むしろここから。

言うまでもなく本は、作ったら終わりじゃない。

でも、その中身については、やってからわかることの方が多い。「編集者ってここまでやるの?」と思うことに、出会いっぱなしである。

そして、ようやくできてきた本についても、制作者の忙しさはむしろここから始まる。

出版する本をいかに売るかも重要なのだ。

元々、売り延ばしに関する戦略はイメージしていたものの、出版記念イベントの手配や、その他広告物の制作、書評掲載や広告に関する段取りも、全て運用していかなければならない。

それに加えて、ただでさえも日々のスケジュールがカツカツなのに、印刷やデザインなどの会社ごとの支払い関係は、出版の時期に精算になるので、会社員的な事務手続きにも追われる事になる。請求書だの支払いだの、めんどうな手続きが一気に降りかかってくる。

著者への出版契約や、本によっては原稿料の支払いもこの時期となる。

つまり、「よっしゃ~、なんとか校了して、本の形になったぞ~」というのもつかの間、

多くの予定で一気に埋め尽くされていくのである。

(この文章を書いている今、まさに僕はこの時期の真っ最中で、来月に控える出版記念セミナーに向けて準備や告知を進めているところである。)

編集者たるもの、本を出すのがゴールではなく、1人でも多くの読者に届ける、そして読んでもらうのがゴールなのである。本にとっても、完成したのがゴールではなく、やっと産まれた赤ん坊であり、これから世に出ていって人の手に渡り、意味を授けられていくのである。

おわりに

そんな風に、多くの事を学び、苦しみ、何度も徹夜をして、時に原稿に向かって悔し涙を流し、文字通り“血と汗がにじんだ本”が、僕が1冊目として関わった書籍である。

正直なところ、「段取りを具体的に教えてくれて、もっと丁寧に目付をしてくれていれば、制作はよりスムーズであったのに」と、上司の放任主義にモヤモヤすることは多々あったが、これだけ試行錯誤しても自分なりのやり方を模索させていただいたことに、今では感謝している。

おそらく、何年経っても、僕が編集者としてのスタートを振り返る時に、この文章を読み返すことになるだろう。なんて思いながら、編集後記を締めくくろう。それではまた、書籍の中で。

看護師S田さん

エビデンス中毒、いわゆる「エビ厨」を自称する京大出身の生意気な看護師。
「根拠に基づく看護(EBN)」の普及のためにNur-switchを設立し、論文レビュー記事から雑記ブログまで幅広く執筆。
臨床に立ちながら精力的に記事を更新中!

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