今回はアイデンティティとパーソナリティについて紹介していきたいと思います。
かなり深い内容であり、複雑なため、一度で理解するのは難しいかもしれません。ゆっくりと読んで整理し、咀嚼して理解していくようにしてください。
アイデンティティとパーソナリティの定義と違い
まず、教科書的な意味でのそれぞれの違いについて紹介します。
アイデンティティの定義
アイデンティティはエリクソンが提唱した概念で、「主観的な私を尊重する」ということを指します。
つまり、「私とあなたは違う」という環境で、私が自分自身を持っているということを表します。
このように、自分自身が存在する時間や空間があり、一貫性を持っていることを自我同一性と呼びます。
パーソナリティの定義
パーソナリティは、思考だったり、表現態度、判断だったり、気分、興味、意欲、人生観、価値観、振る舞い方とか、そういったものすべてを指します。
日本語で一言で表すなら「人柄」「人格」といえるでしょう。結構幅広いです。
(精神医学的に言うと「ある個人の環境刺激に対する反応様式の総代」という難しい言葉になります)
少しわかりやすく説明すると、環境や所属しているコミュニティに関わらず自分が行う立ち振舞いは、パーソナリティに入ります。
例えば、ある絵を見て周囲が落ち着いて冷静に、「あ、これはこの風味があっていい味出してるね」とか言う人もいるような、そういう物事に対する反応を、パーソナリティと言います。
次に、それぞれがどのような関係にあるかを紹介します。アイデンティティは、パーソナリティの一部と考えることができます。パーソナリティとは、個人的な特性や行動パターン、認知的なプロセスなどが含まれます。アイデンティティは、パーソナリティの中でも、自分自身が誰であるかを確立し、維持するための中心的な概念です。
これらの概念に関係して、アイデンティティ障害やパーソナリティ障害と呼ばれる精神障害があり、どこかで治療が必要になる場合があります。ただし、アイデンティティやパーソナリティ自体が病気ではありません。これらの障害には、自己認識や対人関係に問題が生じることがあり、治療が必要となる場合があります。
しかし、抽象的な分類に関しては、教科書的な文例に関してはこんな感じです。すぐに聞いても「なんだよ」と思うかもしれませんが、自分としての筋を持っているのがidentity(アイデンティティ)で、自分の芯を持っているのがアイデンティティーで、その芯の色味だったり、太さ、長さだったりが、パーソナリティーです。
例えば、そもそも芯がなかったら、まだ個性ってわからないよね、となります。また、あまりにも効果が強すぎて人のことお構いなしだぜ、という芯を持っていたら、まあそういうパーソナリティーだなと、あの人は頑固だなとか言われるかもしれない、という風になります。
正直、無理に区別する必要はありません。ここからは、それぞれの関係について紹介していきます。
アイデンティティとパーソナリティの関係
いわゆるアイデンティティは、思春期に確立されると言われています。
親から育てられ、いろんなことを助けてもらってだんだん自分でもできることが増えてきた時期に、私は『こうだ!』『これはできるぞ』『あれをやってみたいぞ』と意思を持ち、その一本通った芯を持ちたいと思います。これをアイデンティティの確立と言います。
ただ、他人からの関わりが過剰だったり、誰かに依存し続けている人は、自分のパーソナリティが弱いため、自分がどうなのかという考えを持てなくなってしまいます。
『どうしたい?』と聞かれても『どっちでもいいよ』とか、『何食べたい?』と聞かれても『わかんない』と答え続けていると、アイデンティティの確立には支障が出てきます。
つまり、アイデンティティの確立に支障が出るのは、人と関わったり、人に依存するというパーソナリティのもろさからきていることです。パーソナリティはアイデンティティの確立にとても大きな影響を与えるんです。
自分が何をしたいのか、自分が何なのか分からない、将来のことも自分であんまりわからない、という人は、もしかしたら自分が主導的になれない、受動的なパーソナリティを持っているのかもしれませんね。
そして、ある程度パーソナリティが確立して、私は私って思えたとしても、大人になって仕事や恋愛や様々なライフイベントがやってきたとしたら、それによってアイデンティティも揺るがされてしまうことがあります。
これは実はパーソナリティ障害の症状の一つとして、自分の同一性の揺らぎってのがあるらしいです。人との関わり方・自分らしさ・人格・性格と、自分が自分である感覚は、すごく深く関係しています。
精神科の看護師が考える、アイデンティティとパーソナリティで重要なこと
僕が精神科の看護師として働いていて、学んだことや考えたことを少し紹介したいと思います。
私たちが大切にしているのは、どこからが治療すべき疾患なのか、どこまでが正常な思春期のアイデンティティの確立なのかを区別することです。
患者さんが「辛い」「助けて」「ねぇ教えて」と言ってきた場合でも、あえて自分で考えてみるようにヒントを与えたり、少し考えてみるように促したりして、「自分はどう思うの?」と引き出す手伝いをするようにしています。
これは、関わり方の中で大切なことであり、必要なことなのです。
また、当事者は「意地悪された」と感じることがあり、たまにそれがクレームのような形で上がってくることもあります。
それでも、発達や発育上必要なことに関しては、「可愛い子には旅をさせよ」のように、あえて本人たちの考える時間を作ることが必要であると考えています。
そして(どうか気を悪くせず聞いて欲しいのですが)、パーソナリティが脆弱な子供たちの親は過干渉であることが多いです。
※これは、臨床での経験則であり、どこかのデータがあるわけではありません。
僕が思うに、子供の頃から、「これはこうしなさい」「あれはこういう風にしたら」といった形で考えたり、洗濯したりする機会を与えられなかった子どもたちは、自分自身の意思を持ったり、考えたり、決断に責任を持ったりする機会を与えられないようです。
親が何でもしてあげる、これはこうするべきであると決めつけたり、選択肢を与えなかったりするような家庭で育った子どもたちは、自分の意思を持つことができず、アイデンティティの確立にも支障をきたす可能性があります。
今回はアイデンティティとパーソナリティの教科書的な定義と、それぞれがどんな複雑な関係があるか、そして、私が臨床で見てきたものを紹介しました。
ちなみに、そうした “自分が自分である感覚” に関する学問は、コフートさんという方が確立した自己心理学という学問があるため、今後、その話も取り上げていきたいと思います。
今回は、自己を表現する方法としてのアイデンティティと、個性的な特徴を持つ人格のパーソナリティについての定義の違いや、その相互関係や複雑な絡み合い方について、そして臨床での観察について紹介しました。
内容が複雑だったため、一回で理解するのは難しいと思いますが、改めて読んでみたり、自分でも考えてみたりしてください。また、悩みがある人のためには、別のパートで紹介していくので、そちらもご覧ください。
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